緑を流れる清流のような心をもつ私にはとても思い付かない言葉の数々。真面目な姿で罵倒する言葉が紡ぎ出す旋律は、嫌悪感を通り越してなぜか面白く前衛的だ。あ、プログレッシブ・ロック。
日本語に翻訳したからこそかもしれないが、ここに、ある種の文学が生まれつつあるのではないだろうか。
書き起こし
番組1
女性アナウンサー1「私たち女性にとって汚点であり呪いの対象でもある化け物。それがまさに青瓦台に居座っている朴槿恵なのです。」
男性解説者「その通りです。卑しく粗雑で毒々しくて口にするのもおぞましくその低脳さには誰もついていけない老いぼれ婆さん。」
女性アナウンサー1「本当にその通りですね。」
番組2
女性アナウンサー2「朴槿恵の醜い容姿から邪悪な毒蛇、老いぼれ犬、汚いコウモリなどのあだ名がつけられています。」
番組3
男性アナウンサー「朴槿恵のアマが『北と堂々と対抗しなければならない』と言いやがった。」「毒気のある暴言は看過できない。」
−すべて朝鮮中央テレビ
(筆者の見解ではありません。)
汚いアナだなぁ(言葉的な意味で)。
絶妙なバランスで挑発とおねだりを繰り返すしたたかさをもっていた総書記系男子とは一転、肉食系YOUNG MANへと変貌を遂げた北朝鮮。まるで、からかっていた根暗なやつが急にカチカチとカッターナイフを取り出す現象を彷彿とさせる。
(当ブログはいじめの撲滅に賛成の立場です。)
性格の悪さは別に罵倒語を使わなくても言葉に表れてしまうのだ。筆者の文章はその自戒となっている。