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浜田 晋『心をたがやす』を読んで

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この本は、ほしい物リストから贈っていただいたものです。

心をたがやす (岩波現代文庫)

心をたがやす (岩波現代文庫)

 

yaritakunai.hatenablog.com

お礼の気持ちを込めて感想(最初、タイトルを書評としたが大げさすぎる)を書かせていただきます。こんなに掛かってしまって申し訳ない。

読了まで1年7か月。実際には、断続的に読んだので数日のこと(読み始めると惹き込まれる)。そのため、箇所により私のスタンスが異なるように見えるかもしれない(書きためていた感想を見て自分でも驚くこともあった)が、そのときの心情をありのまま記述しようと今の私に合致させるようなことはしませんでした。

 

プロローグ

烏滸がましくも、著者と年は違いすぎるが意外と読ませると思った。終戦直後の話だ。境遇も違いすぎる。

「闇屋」って何だ*1。「外地」って何だ。今では聞かない言葉が並ぶ。

そんな中でも、挿入された宮沢賢治の一節“うしろよりにらむものあり うしろよりわれをにらむ青きものあり”に惹かれる。百姓は向かず、労せずして金儲けできる仕事を探すところにシンパシーを感じる。などなど、自分にも読めるものなのだなと感じた。

著者は、闇屋と精神科医には類似点があると言う。ギリギリで生きてきた著者だから「生きる」を語れるのだ。のうのうと生きてきた者への恨みにも似たものを感じた。

 

本編

恨み、皮肉を感じる。「人」のない資本主義に。

バブル崩壊の歪みを、町の移り変わりというあまり語られなかった側面から説く。私には正誤についてなんとも言えない。この本は「影」を書いているのか?と気づく。

プロローグにも増してわからない言葉が飛び出す。辞書を引いてわかった気になるが、そのものやその時代を知っていないとその言葉を真に理解したとはいえないのではないか。

医者として人を殺めた第一号(赤ん坊)、神戸で目の当たりにした貧富の差、医療と差別。“風来坊の私に一撃をくらわせた事件”は、私にも痛切な一撃を喰らわせた。

医療の名のもとに歴史上数々行われてきた非人道的行為(ロボトミーが有名か)。特に精神障害がその対象になっているように思うのだが、その根源は何だろうかと考えさせられた。

何より興味深く思ったのは次の2点。

第一は、統合失調症(念のため現代名で書く)の遊びにおける社会性について。彼らはボウリング、バスケットボールのシュートなど、目標がはっきりしていて決まった行動で成り立つ、一人でもできる遊びはできる(しかも、活発に動き出して)。しかし、自由度の高い、状況判断を要求されるような遊びだと、とたんに拙劣になるという。

ボールを投げ合う遊び。投げ返してくるし、球種のバリエーションもありコミュニケーションがとれる。次に、10人が輪になって順番に回す。これは成り立つ。しかし、どこへ投げてもよいと自由度を加えると、看護学生では“みんなで遊ぼう意識”から自然とボールを投げる相手が均一に分布するのに、患者では決まったルールで回してしまうのだそうだ。

これを「治療」しようとしても均一に分布するようにはならなかったという。あまり強く指示すると茫乎として動かず昏迷状態にまで陥った。

第二に、統合失調症と認知症(現代名)。認知症の介護者が統合失調症というのは一見、困難に見える。しかし、お手本のような対応ぶりでうまくやっている例が3つ紹介されている。統合失調症の者は極めて優れた介護者とまで評している。

最後に、この本に出会うきっかけとなった「エリートの挫折・発症」について触れよう。彼の立ち直りによって、「心を育てる」ことは「ともに苦しみを共有すること」「待つこと」「耐えること」と著者は教えられたそうだ。母と子の間に少し「すきま」ができたとも語る。「心をたがやす」とはそういうことなのだろうか。

 

この記事のあとがき

この本では、時折、戦争への想いが滲む。反戦の本ではないが、反戦運動を嘲笑う人に読んでほしいと思った。彼らは、自分たちだって戦争したいわけじゃないなどと現実的という言葉でごまかす。しかし、この本のように戦争とともに生きてきた人の本を読めば、なぜ彼らが戦争に対し生理的嫌悪感を示すのか少しはわかるだろう。

そして、文章が上手いと感じさせられた。子どもの頃、まったく感想文というものが書けなかった私ですら、見開き2ページ読んだだけで思うこと・考えることがわらわらと浮かんでくる。情感を動かされるのだ。

文章が書けないという人は、読んできた本の——自分の「わからなさ」をこじ開ける——力不足だからではないだろうか。文章が上手くなりたい人は本を読むべきだ。それも手記を。

文章には自分の経験が滲み出てくる。いわゆるプロブロガーの記事が薄っぺらい*2のは、彼らが子どもだからである。だが、彼らを鼻で笑うことはすべきでない。彼らには彼らなりの言葉があるのだ。それがすでに経験してきたものにとって青臭いものでも彼らには発言権がある。あなたも通った道だが必要な道だ。

などというような感じである。私は学術書・技術書・科学書を読み、こういった本はほとんど読んでこなかった。なんて愚かだったのだろう。

*1:「闇市」は知っているのでこの言葉もあって当然なのだが

*2:ブーメラン