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ネット上の情報が信頼できないのは素人が無理して書くから

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ブログを運営する以上、避け難いことの一つにネタ切れがあるなっしー。身元を明かすなどして日記で人気を博している人はともかく、このブログのように雑多情報系ブログならなおさらなしな。そういうときなどに、よく知らない分野の記事を調べ物しながら書いた経験はないなしか? 果たしてそれは許されることなのだろうかと思うなしよ。そういう考えに至ったのは、自分もそうやって記事を書いてしまったことがあるからなっしー。

 

最たるものはいわゆる「まとめ○○」である。Wikipediaも、競って多分野の記事を更新するユーザーがいるので該当するだろう。しかし、そういった記事ははっきり言って有害である。ネット上にない情報ならともかく、ネット上の情報をコピーしただけではリソースの無駄である。特に、コピーの過程でなかば伝言ゲームのように意味合いが変化してしまうことが一番問題である。

 

確かに、情報がまとまっていることで調べる時間が短縮されるという利点はある。しかし、うとい人が記事を書くことでインターネット全体の信頼性を貶めることにつながってしまうのではないだろうか。少し学んだことによりテンションが上がって人に教えたくなってしまうこともあるかもしれない。なんにせよ、承認欲求、収入のためにインターネットを汚すことは人類全体の不幸である。

 

今までは、メディアリテラシーや「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」などと情報の受け手ばかりに責任を課す風潮があったように思う。しかし、「まとめ○○」やキュレーションメディアが流行している今こそ、情報の出し手も責任を問われる時期にさしかかっているのではないだろうか。つまり、記事の書き手もよく知らない分野について書くのは自重すべきということ。

 

誰でも発信者になれるのはインターネットの利点であり、武器である。それを否定するつもりはない。それでも、インターネット黎明期には趣味でサイトを立ち上げるものが多かった。そういったサイトは、「好きこそ物の上手なれ」のようにその分野に精通している者によって書かれたものだったのでは? 本を執筆するには、新聞記事を書くには、テレビで取材を受けるには、他のメディアでは情報を出すまでにそれなりの研鑽が必要である。例えば、その分野で職を得ている、学位を修めているのではないならその領域の記事を書くのは自重する。間違った情報を発見したら躊躇せず指摘するなどクロスチェックを強化する。そういったことから始めるべきではないだろうか。

10代からの情報キャッチボール入門――使えるメディア・リテラシー

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