曲の好きさには4段階ある。崇拝する曲と、好きな曲、普通な曲、嫌いな曲である。
私の場合は、だが。しかも、感覚的なことであるので別の日には違うことを言っているかもしれない。崇拝する曲は両手で数えられるかどうかで、残りのほぼ100%が普通の曲、あとは好きな曲と、稀に嫌いな曲といった感じだろうか。もちろん、この感覚が大方の人間とかけ離れているだろうことはなんとなくわかる*1。
乃木坂46『おいでシャンプー』という曲がある。
私はこの曲が嫌いだった。そして、嫌いな曲が好きへと変わった稀有な例である。
この曲を初めて耳にしたのは音楽番組(深夜の、たぶん日テレ)だったと思う。私はこの曲のイントロやInter.*2の「ファファミレ♪」という部分がどうにも気に入らなかった。それは、AKB系グループへの嫌悪感や、当時問題となったスカートを捲り上げる振り付けに感じたあざとさも影響していたかもしれない。しかし、確かに曲が嫌いに感じた。たったそれだけの、曲の一部分だけで、曲全体を受け付けなかった。あの時までは。
あれは去年のこと。音楽のサブスクリプションサービスが話題となっていた頃だ。私は、AWAやLINE MUSICで音楽を聴きあさっていた。昔、ちょっとでも気になった曲の記憶を掘り起こすように。当然聴いたのは主に気に入った曲だったが、『おいでシャンプー』も例外ではなかった*3。引っかかったのがネガティブな意味だったという違いでしかない。怖いもの見たさや、あの感情を追体験したいという思いからだったかもしれない。とにかく、もう一度聴いてみたのだ。
なぜかそれほど嫌じゃない。確かめるように再び聴く。あの部分に嫌な感じはしない。そうこうしているうちに、ほかの部分の良さに“耳”がいって好きになってしまった。普通の曲が何度も聴くうちに好きになることはたまにある(いわゆるスルメ曲)。しかし、嫌いな曲が好きに変わったのは今のところこれが唯一である。
嫌い嫌いと書いてしまったが、私はこの文章で誰か—48・46系や『おいでシャンプー』を好きな人—を傷つけたくない。以上のことは単なる前置きである。
本題に入る。(といっても短い。)
私は自分が作曲した曲をYouTubeに上げている。それらの曲の動画のうち3つに低評価が1つずつ付いている。
別に低評価を付けられたということに対して憤っているという話ではない。むしろ、いずれも100回に満たない再生回数にもかかわらず評価を得られたことはうれしいとさえ思っている。気になるのは、どんな気持ちで低評価を付けたのか、どこ(部分、はたまた全体)やなんの要素が嫌いだったのかだ*4。聞けるものなら聞いてみたい。
「どこがダメなのか」は人生において誰もが抱える疑問である。クリエイターでなくとも、就職活動での面接など一概に点数が付けられない試験の類で誰もが経験すると思う。そして、その疑問に対して直接答えを与えてもらいたいなど甘い考えだということはわかっているつもりだ。
低評価を付けられたことは悔しくないわけではない。ただ、ポジティブに考えればその人の心に何か残せたんじゃないか。当たり障りのない曲よりマシではないか。そういう思いもある。
「好きの反対は無関心」と聞いたことがある。私の曲には「何か」があって、その人にとっては嫌いでも他の人にとっては好きな要素になり得るだろうか。あるいは、万が一にでもその人がその「何か」をいつか好きになってくれたりするだろうか。
『おいでシャンプー』のように。
- アーティスト: 乃木坂46,秋元康,TATOO,木之下慶行,中土智博
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックレコーズ
- 発売日: 2012/05/02
- メディア: CD
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (1件) を見る