「わたし的には」という表現は、ずいぶんと市民権を得たようだ。TVの街頭インタビューで耳にする機会も多いと感じている。
最近の調査でも、以前より浸透していることが明らかになっている。
「わたし的にはそう思います」「話とかしてました」といった表現も全体の2割弱が使っており、過去の調査と比べていずれも増加した。
さて、この表現は誤用であるとして、よくやり玉に挙げられる。使用(そして問題視)されるようになったのは、少なくとも20年近く前からのようだ。(98年ってもう20年も経つのかorz)
(1998.09.01)
ここで私の立場を表明しておくと、決して「わたし的には」を容認するわけではない。むしろ、「わたし的」という言い方を正しいとする者に対し、誤用であると反駁したいと思っている。
しかしながら、文法的にどうしていけないのかがわからない。例えば、「個人的には」という表現は容認されているようなのにだ。
「私」、「あなた」といった人称代名詞と比べて、「個人」という言葉は特定の人物を指すものではない。直接相手を強く指す言葉に対して、「的」という意味をぼかす言葉が組み合わさるからいけないのだろうか。
「~的」には、「そのものではないが、それに似た性質を持つ」という意味があります。意味をぼかしてあいまいにしておくことができるので、話し手側にとっては楽な表現です。
誰か日本語に詳しい方がいたら教えてほしい。
日本人も悩む日本語 ことばの誤用はなぜ生まれるのか? (朝日新書)
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